− 現場の方は皆さん「親方」と呼ばれてますね。
そうですね。いつの間にか自然に。
社長と呼ぶ人はいませんね。メールアドレスも「OYAKATA」ですしね。
− 長い歴史をもつ工務店さんの11代目として、先代から受け継いだときは、どのような決意があったのでしょうか。
自然に入っていきましたね。
親父(先代)がやっているときから、設計をはじめとして、自分の色はだしていました。
実際に自分の代になったときも、ただ名前が変わっただけという感じでしたね。
− 何歳からやられているのですか。
24歳のときからですね。
− 今、おいくつですか。
47歳です。
− はじめて設計をやった時のことは覚えていらっしゃいますか?
覚えてますね。
今だから思うことですが、ああすれば良かった、こうすれば良かった。というのは正直言うとありますね。少し申し訳ない気持ちはありますね。
− それはどのような仕事でもそうなのでしょうね。
そのときは、大工さんも年上ばかりでしたか。
今も一緒にやってもらっているんですが、1つ年上の大工さんがいましたので、その人とよく一緒にやっていましたよ。
割と同年代の人がいて助かりました。
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−はじめての設計のときは大変でしたか。
いや、面白かったですよ。
さすがに、どんなことを話したかは覚えていませんけれど。施主さんといろいろ話をするのは楽しいことです。
− 常木の家に生まれて苦労したことはありますか。
実はこれといってないのです。
小さい頃から、何となく建築の仕事にすすむものだと考えていましたし、大学に進学するときに、建築関係に行かないと学費をだしてもらえませんでしたし。
他の仕事をしたらどうなるかな・・・とは思いますけれどね。
− 常木の家に生まれて良かったことはありますか。
そうですね。
神社の再建の仕事などは「常木だからこそ。」というのはあるでしょうね。
− 神社をつくる技術は伝承されているものですか
そうではないのです。
親父(先代)も特に教えてくれたわけではないのですよ。親父(先代)の雑談ででてきたり、自分で勉強したり。
うちには、勉強する材料があるのはありがたいことですけれども。
− 一般の家づくりに役立つことってあるのですか。
神社と家はまったく違いますね。
大工さんなら誰でも神社が造れるわけではないですから。
しっかりした技術で、手を抜かずに作らなくてはいけないのは同じですけれどね。
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